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式根島倶楽部

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小笠原父島旅行記2

 小笠原旅行記 2015年夏・父島編、続きです。
 当初の予定では8月1日東京出発、9日に帰って来る約一週間の旅の予定でございました。これだって結構一般人としては長い休暇を取っての思い切った旅だったわけなのですが・・。

2015年8月8日。皆さん酷暑の中でお過ごしの中、管理人は小笠原村父島で大雨にあたっておりました。


 ・・・おや? おやや?
 ここは常夏の世界遺産、小笠原村ではなかったのかな?


 とはいえ海は灰色、空は鉛色、波はだっぷんだっぷん、それでもまあ大雨の中製氷海岸(昔製氷工場があったためにこの名前がついているんだそうです。)カメセンターと私が呼んでいた小笠原海洋センターの近くです。この海岸はエダサンゴ(枝珊瑚)の大繁殖地で、シュノーケルで泳ぐと白い林の上を飛んでいるみたいですよ。途中おっきなウミガメを見ました。ウミガメちゃんは「く、食われる!」と思われたのか、さっと逃げていきました。水中のウミガメの動きは本当に速いですね。式根島でも一回、そんなに大きくない亀をみたことがあったような記憶があるんですが、これも水中では大変素早い動きでした。一説では浦島太郎は真面目にウミガメに乗っかったら計算上では降りおとされるんだそうです。ウミガメすごいね。空想科学読本かなんかに書いてあった。なお、小笠原ではウミガメ保護されているんですが3月・4月に漁が許されている時期があり、この時期アカウミガメ・アオウミガメ(アカは肉食なので?肉に臭みがありあまり美味しくないそうです。食用はおとなしげなアオウミガメなんですって。)カメセンターでアカウミガメの大きな子を見て来たのですが(入場無料・でもみんな寄付してね)アカウミガメはくちばし部分が鋭くてアレです。ガメラっぽいです。アカの方が凶暴そうで、アオの方が苔などを食べる温厚な種族だそうで、丸顔で優しげな顔をしています。

 
 そんなわけで、雨の中製氷海岸で白いエダサンゴ見ながら泳いでおりますと、海の中はいいんですが、あがると体が冷える!というわけで、地域福祉センターの図書室でちょっとくつろがせていただいたりいたしました。小笠原を舞台にした作品などを読んで教養を深める管理人。中島敦が小笠原に三日間立ち寄っていたなんて知らなかったんだぜ。

その間も強くなる一方の暴風雨。ちょっとこれやばいんじゃないかということで宿に帰宅。帰宅後、地域福祉センターは避難所として使われることになり、島内バスも午後3時台くらいから運航ストップに。なにこの大嵐状態。暴風雨なんですけど!

 6日の船で宿のメンバーは一新。1日から6日まで一緒だったメンバーと、9日帰る予定組に6日~9日組が合流します。おが丸は普段6日に一便なのですが、夏や連休時は3日に一便船が出ます。前の記事にあった中国人留学生のRさんや、知的なR子先生、セクシーリップのKちゃんなどは6日の船で東京へ。
 居残り組の管理人は新たなメンバーや、2日から一緒にいるK氏など、仲良くなってきた人たちと「じゃあ、『ドロシー』(これまた前述の記事参照)行くか!」と盛り上がり、嵐の中水着を着て「ドロシー」へ。なんかもう水着でご飯食べに行く非日常さに可笑しさがこみ上げて来て、笑いながらお店に行く事に。「あらあらよくきたわね~」というママの声に、「まず着替えさせて!」「俺、飲み屋来て最初に着替えてるとか初めてだよ!」と、大騒ぎの我々。(誰も外に出ないような嵐の夜だったので、貸し切り。)

ドロシーさんの名前でお分かりかもしれませんが、小笠原にはアメリカそのほかの欧米系と呼ばれる人たちがおります。ドロシーさんが5代目、一番若い世代で7代目がいるそうです。ドロシーさんは小学校まではまだアメリカンのネイビースクールで学び、小笠原日本返還により中学生から日本語の授業を受けたのだとか。
 勿論もともと小笠原にはいわゆる日本人も住んでいたのですが、戦時中に小笠原の住人は強制的に疎開させられたという経緯があります。もともと明治から大正にかけては人口も多く、6000人近くの人が住んでいたとか。(今は父島2000人・母島500人)
この頃は本土にはない野菜や果物を出荷したり、島の赤サンゴ漁などで、その生活水準は本土よりも高かったそうです。しかし、そんな豊かな島の暮らしは太平洋戦争によって、本土への強制疎開・空襲により小笠原は無人島の時期が来ます。先に欧米系の人たちが住む事を許され(これがドロシーのお父さんとかの世代)、戦後帰って来た人々、さらに新住民と呼ばれる今若い人たちがたくさん父島にやってきてくれて、現在非常に若い村として知られているそうです。


 さあ、9日に帰る予定だったのですが…。当然東京発父島行きのおが丸は出航せず、島内放送では一日ずらして9日東京から父島に出航、9日に私達は島から離れ、10日には東京に帰れる・・、は、ずだったのですが。


 翌9日。荷物も大体まとめ、もう最後かー、さみしいよねーと言っていた朝。おが丸が東京から出航しないことが島内放送で流れます。再び徐々に激しくなる暴風雨。この時点で、東京に帰るのが最短14日(13日離島)ということがわかり、顔色が変わる宿のメンバー。いや、私も9日帰宅予定だったんですがね。


  次の船は、5日後に出航だとか。

  まさかの5延泊wwww




まあ、島だから、管理人は覚悟はしていたのですが・・ね。一般社会人はしゃれになりません。中でもK氏は職場に何と連絡しようと真っ青に。また、ほかのメンバーも慌てて職場に連絡を入れる人々が。K氏は年下のデキる上司から辛口メールをいただいてしまい、すっごくしょんぼり。「ブルーインパルスだよ・:・・(日本語訳:青い衝撃=気分がブルーになるほどショック)」宿のみんなで、月曜日にどのように上司さんに状況を冷静に説明して理解をいただくべきかを酒飲みながら朝3時まで会議しましたとさ。なにやってんだわしら(笑)。
 
 で、9日は部屋の中でみんなお互いの人生を語ったり(笑)、ピアノのD樹君の怖い話を聞いたり、拾ってきたビーチグラスでネックレス作ったり(ユースホステルからM先生が合流して色々教えてくださったのだ)不思議な時間をすごしましたとさ。
D樹くんはもともと小笠原の子で、その後内地の学校に進学、音大の院生さんで、今も毎日数時間ピアノを弾いている青年です。


 10日は少々天気は良くなったのですが、なんせ欠航。台風は父島から離れがたいのかくるりと周囲をうかがうように動く。動きも遅い。おいこら大丈夫か。何を考えている台風14号。泳げそうな浜を探してさまよう我々。そんな中、宮の浜で同室のAお姉さまのマーメイド水泳講座が開催。K氏や、H氏、K樹さんなど仲良くなったメンバーで我らがマドンナ・Aお姉さまのイルカに好かれるマーメイド講座で、潜水技術があがる我々。先達ってありがたい。

 午後はマドンナAお姉さまに、るるぶ小笠原にも載っているという有名な看板娘のAちゃんを紹介していただき、3人で「台風直後の父島の海辺をパトロールしようの会」であちこちの海辺を見て来ました。ちょこっとレンジャー気分。
行け、オガサワラブルー!

 夜は初めてお酒を飲んだという宿のみんなの妹キャラSちゃんがいい感じに酔っぱらって、大勢でパーティを行いました。(もう半ばヤケなんだけどね)私が休んだ後、Sちゃんが「海に卵を生みに行く!」とおぼつかない足取りで散歩しそうになったので皆さん大慌てで5人ほど(D樹くんを覗くそのほとんどが酔っぱらい)ついて行ったそうです。海に卵生みに行っちゃだめで、ウミガメなら海から砂浜に卵生みに来るはずなんだけどな。
 

  8日  大雨の中製氷海岸泳ぐ ウミガメに会う 大雨すぎて水着で夕食食べに行く
  9日  離島予定日だったが完全欠航の知らせ 大暴風雨 どーしょもない
  10日 マーメイドAさんに泳ぎを教わる 島内台風の影響調べ 夜は宿でパーリィ


 11日はさすがに疲れ、午前中はまったりと部屋で過ごしました。もう、小笠原に10日もいるんだもんね…。正直やることもなくなってきたし、旅に来てあくせく動くのも旅の趣旨からはずれているんじゃない?などとひとりごちてみます。
 午後はバス(どこまで乗っても大人200円、ただし1時間に1本)に乗って、小湊海岸へ。濁ってて、何もみえなーい。ので諦めて別の浜へ。バス利用しながらプラプラして過ごしました。なんもやらないでいい一日っていいですよね。嗚呼夏休み。

 小笠原の海は海藻が基本育たないそうで、そのため礒臭さが無く、海から上がっても比較的さっぱりしているのだそうです。なるほど。リンと窒素が少なく、カルシウムが多いのだとか言っていたかな。塩は美味です。何種類か売っています。(個人的には伊豆七島・式根島の海の味に近い青ヶ島のひんぎゃの塩推しですが、ひんぎゃの塩より味が濃いように思います。ひんぎゃのほうがまろやか。)


 内地ではサメが出て海水浴が出来なくなった海があったり、シュノーケルの海難事故があったり、更になんかいろいろ猟奇的な事件があったり、戦争法案どうなるんだとか70年談話どうするんだとかいろいろあったのですけれど、とりあえず8月11日の管理人は、何も考えず父島をプラプラ歩いておりました。はい。瑪瑙をたくさん拾いました。

 夕方歩いていたら村の名士・我らがN氏と偶然お会いし(N氏は管理人を見たとたん逃げようとしましたが)、夕食ご一緒する流れになりました。(最初に言った、管理人が会いに来たのはこのN氏。N氏は可愛そうに今回2週間私に絡まれ続けることになったわけです)

 夜は毎晩の恒例行事となっている前浜海岸散歩という名のウミガメ産卵していないかなチェックを。前浜海岸を夜歩いていると、ウミガメの産卵にあたることがあるのです。明かりはNG。だいたい近くにカメセンター(と呼んでいるのは私だけです)小笠原海洋センターの方がいらっしゃるので、「今夜はウミガメ来てますか?」と聞くと親切に教えて下さいます。 この夜ウミガメに遭遇。生んだ卵に砂をかけていました。ウミガメっておおきいんですな!
 
 産卵終了まで3時間くらいかかるかも、と言われてそうかーと言っているうちに、空を見上げるとようやく雲が切れてきて、仲間で砂浜に寝そべり星空観察会。ガイドさんが持っている星空まで光が届きそうな強力なレーザーポイントが欲しくなった管理人でした。

 星空と言えば、南に1000キロも来ているので、さそり座の位置が高い!母島まで行くと、あの憧れの南十字星やカノープスを見ることも可能だとか。カノープスという言葉に興奮する管理人と6日から一緒のH氏。「星空ってロマンだよな!」と、二人熱く語り合います。嗚呼青春。


 さて12日。ほかのメンバーは台風が去ってようやく復活した一日ツアーを入れて、たくさんのイルカに出会ったそうです。イルカさんの方は「ここ数日人間来なかったけど、どしたの?」って感じだったのでしょう。午後まで参加できたメンバーは普段は滅多にいない巨大なオス鯨のしっぽぱたんを見る事が出来たそうで、動画で抑えたH氏などが見せてくれました。すごいなー

 管理人は海に入るのもなんとなく億劫で、でもまあまだ行った事のない浜に行こうかと思い立ち、地元の人がなかなか行かないという釣浜に行って来ました。なんで地元の人が行かないかって?秘境だからですよ!ちょっと遠い上に、浜辺までジャングル状態の山道を抜けます。てくてくてく。オオヤドカリがごそごそ動く中、ギョサンで下りて行きます。あ、ギョサンは漁業従事者専用サンダルの略で、あとで母島編で暑く語りますね。小笠原島民の御用達のスペシャルサンダルです。

 ここの珊瑚は素晴らしかったです。宮の浜以上ですが、ですが・・・足場が悪い。かなり浅い所まで珊瑚があるので、珊瑚を傷つけないように歩こうとなると結構難儀。マリンブーツあった方がよかったです。足フィンをつけてヨチヨチ歩いていると、何度か転びます。ここで数か所負傷。膝の中からフジツボが出てこないことを祈って居て下さい。釣浜の小さな貝のかけらは美しく、幾つか拾って実家の母親へのお土産にすることに。姪っ子たちが宝物認定してくれるといいなあ。姪っ子たちには貴重な「お金」になるようなので、気に入ってもらえるといいんですがね。

 夕方もうひと泳ぎして、夜は野菜がなんにもない(笑)父島のお店へ。夜のお店も材料がないので「できない」メニューが日々増えて行きます。


12日夜。 15日の盆踊りに合わせて、盆踊り講習会が行われました。最初はひやかしで覗くだけのつもりが、つい輪の中に。50人以上の大人が本気で踊っています。はじっこで大人しくふりつけのまねをしていたところ、9日からご一緒していたM先生に見つかり「中央に行かなくちゃ!!」と背中を押され、見よう見まねで小笠原音頭。
 東京音頭や炭坑節はいけるんですが、小笠原音頭はいいですね。「ざぶ・ざぶ・ざぶ・HOOOO!」はクセになります。そのほかマッコウ音頭や世界遺産音頭を踊り、管理人ったらちゃかっり「盆踊りマスター」認定証をいただきました。踊っている最中、旅の間に知り合いになってくださったM子さんやT様など声をかけていただいたり、一緒におどっていただいたり致しました。人の出会いって有り難い。
 結局2時間近い盆踊り練習会にほぼフル参加してしまい、仲間全員汗だくになり「なんという達成感HOOッ!」「そこにシビれるあこがれるゥ!」などと充実の夜を過ごしたのでした。
 あそこまで練習をしていて、15日の本番に踊れないとは、非常に残念。だがそれも運命。甘んじて受け入れねばならんのです。

 13日は半日ツアー入れました。宿の船で出たかったんですが、通った「ドロシー」のドロシーママから紹介されて、「ピンクドルフィン」のスタンリー船長に最後の半日を託すことに。そうなんだよ、南島にまだ上陸していないんだったよ、ということで、南島とイルカの両方を楽しむというちょっと欲張りなコースに。半日なので5000円。夏っこいイルカの2群れに囲まれて、よく泳ぎました。世界遺産のメインである南島にも上陸し、うーん、小笠原でやりたかったことほぼすべてコンプリート。盆踊りマスターにまでなってしまったしね。
 全体的にはちょっと日に焼け過ぎたけどね!長いラッシュガード必要だったけどね!



 そしてとうとう離島。さいごの時は、いつだってちょっと、寂しい。



小笠原名物の壮大なお見送りが。これはご存知の方も多いとは思いますが、雄大な島の太鼓と、見送り船が出るのです。ただ、今回は13日着のお客さんの午後ツアーでもう船が出ているとこが多かったので、それでも少なかったらしいのですが、数台の船がおがまるを追いかけて来ます。今回は二週間分の荷物があったこともあり、出発は30分遅れ。その間、島の子や仲良くなった人たちがずーっと船に叫びかけます。「いってらっしゃーい」・・・そうなのです。島からしばらく東京へ、『いってらっしゃい』なのです。そして東京に、世の中に、疲れたら、小笠原に、『いつでも帰っておいで』

 我らがマドンナAお姉さまが青灯台からダイブしてくれました。
 我々、大きく手を振ります。


 またねー
  またねー
 
 いってらっしゃーい



 
 そんなこんなで、まさかの世界遺産14日でした。もちょっとまとめなおしたい気もしますが、とりあえず感動がうすれないうちに、メモさせていただきました。そのうちまとめなおします。ありがとうございました。


   11日 のんびり一人バスツアー 夜空きれい
  12日 釣り浜 夜は盆踊りマスターに
  13日 南島ツアー 再びイルカと戯れる 午後離島
  14日 東京湾到着 長い旅が今、終わる。

    TO BE CONTINUED! 

    さあ、次は何処に行こうかな!!!
    




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